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生きる意味及び意義とは何ですか?(中略)→(結論)ヒト・全人類は消失、滅亡、絶滅するべきだと思います

生きる意味及び意義とは何ですか?(中略)→(結論)ヒト・人間・人類は消失、滅亡、絶滅するべきだと思います。     shikanneiko     「ヒト絶滅、全人類滅亡消失、無人化、へ…の説得・提言(・勧誘引導(導引))」     (※註 記載致しました内容に就きまして…。) 何たる不謹慎と警戒心-憎悪感情を御抱き?滅亡-絶滅イコール悪-わるい、の先入観念。否、思考の囚われ-構え-かたさ-強張りであります。全くの拙文で御座いますが、よく御覧になってみて下さい。(※逆問致しますが、私の提言内容以外に救済策など果たしてあるとでも…?)

生きる意味及び意義とは何ですか?(中略)→(結論)ヒト・人間・人類は消失、滅亡、絶滅するべきだと思います。

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生きる意味及び意義とは何ですか?(中略)→(結論)ヒト・人間・人類は消失、滅亡、絶滅するべきだと思います。

生きる意味及び意義とは何ですか?(中略)→(結論)ヒト・人間・人類は消失、滅亡、絶滅するべきだと思います。
 
 
shikanneiko
 
 
「ヒト絶滅、全人類滅亡消失、無人化、へ…の説得・提言(・勧誘引導(導引))」
 
 
(※註 記載致しました内容に就きまして…。)
何たる不謹慎と警戒心-憎悪感情を御抱き?滅亡-絶滅イコール悪-わるい、の先入観念。否、思考の囚われ-構え-かたさ-強張りであります。全くの拙文で御座いますが、よく御覧になってみて下さい。(※逆問致しますが、私の提言内容以外に救済策など果たしてあるとでも…?)
 
 
 
 
 
(尚、付言致しますと、以下に御示しさせて頂きます用語に御留意頂いた上で、本文を御閲覧下さりますと、助かります。
当方が個人的に注目致しております用語群の一部でも御座います。)
 
人類 地球 絶滅 滅亡 道徳 倫理 哲学 生きる意味 自我 提起 提言 提唱 人間扱い 徳 道理 道義 徳義 正義 人道 存在価値 存在意義 消滅 消失 人間 ヒト 生きる意義 自然環境 生態系 人間以外 他者存在 生物の権利 生命の尊厳 いのちの尊重 概念的考察 正道 思い遣り 全人類 原理的思考 被害者 実体験 追体験 真理 らしさ 本音と建前 対象化 優先事項 緊急課題 急務 謙譲 謙虚 謙遜 誠実 篤実 誠心誠意 主体性 節度 罪悪感 罪障感 領分 分際 自然破壊 自分がされたら 加害行為 虐待 大量虐殺 大量殺戮 思い上がり 形式主義 独善 傲慢 野放図 皺寄せ とばっちり 実験台生物 お門違い 犠牲 集団妄想 自戒 自律 自制 羞恥心 廉恥心 うしろめたさ 自責の念 諸悪の根源 形骸化 我慢 思考のとらわれ 
「食肉・肉食の思想」 
「人権思想の限界」 
「民主主義の限界性」 
「人権思想-民主主義-…、の、不充分さ-不充足」 
「人間だけを保障-保証の範囲-対象とする人権思想-民主主義の、限定性-不寛容さ-致命的欠陥-決定的不全」 
「人間だけを対象とする思考方法の、限界性-欠落性-欠失性-詰めの甘さ」 
「人だけに限定する「愛」というものの、不充足さ-欠陥性」 
「「平和思想」というものの不徹底さ-不備性(への、不満-絶望)」 
「人間ヒト優先優越思想」 
「他生物たちの権利」 
「思考の囚われ」 
「人間中心主義」 
「人間-人類-ヒト、の所為-所作としての、強欲-貪欲-独善-尊大-傲慢-横柄-暴威-過剰-偏向-害他、の、醜悪-醜怪-俗悪-卑劣-狂態-凶暴-下等-非道、なありさま」 
「限界性の自覚」 
「「領土」思想」 
「「領土」概念」 
「「境界」思想」 
「「線引き」意識」 
「「縄張り」の明確化-実体化」 
「地球返還」 
「自然(環境)の償還」 
「「解答」(?)までの最短距離の探索」 
「法のための法」 
「法規律の為の法規律」 
「マニュアル主義」 
「「論理」が全てかという問題性」 
「「論理」への偏向」 
「自己目的化した哲学」 
「「証拠・実証・根拠」といったものに偏向する在り方の是非」 
「「制度」先に在りきの矛盾-悪弊」 
「「法律」先に在りきの弊害性」 
「必ずしも、法律-法規律-制度、は、絶対か?決定的か?、の懐疑-疑惑」 
「自己目的化した、法律-規則-制度、(の、悪弊-弊害-矛盾-撞着-本末転倒-…)」 
「前例-先例、重視-偏向、社会-社会システム-社会構造・の,風習-習俗(?)-風潮」 
「生物多様性に対する独善的暴力」 
「専門分化の既存-既定-前提」 
「人間社会の癌ガン細胞(及びその動態)との酷似」 
「もはや統制統御統合不可能」 
「原点への遡行」 
「諸科学者の冷徹になる余りの冷酷への帰着」 
「外見-外観は宗教に非ずして、その、実体-本質-実質-真相-実相-本性-…、は宗教そのものである怪現象」 
「もはや高度に洗練された観のある現代を地平-舞台にしての、宗教的なものの巧妙な紛れ込み(「宗教」化の多発事態)」 
「記法・述法・結構様式・諸表現展開・…、の画一化」 
「神格化-「伝説」化の興隆・流行」 
「「~神話」「~幻想」「~幻覚」の氾濫」 
「「社会存在」として、外界-外部からの多種多様な、「~神話」「~幻想」「~幻覚」「惑わし」、に、常にいつも、振り回されて-掻き回されて-攪乱されて、訳もわからずにいつのまにか一生を終焉する事の、あだなさ-無意味さ-無意義」 
「鋳型に嵌められて、飼い馴らされて、生きることの、不自由性-「夢の無さ…」」 
「法規律の絶対化」 
「「原則」の絶対化」 
「「私」「我」「個」の具現としての「国家」「社会」(という、集団-集合体-組織体-構成具象)」 
「実体験と追体験との、圧倒的な-歴然たる-決定的な、落差-差異」 
「分画を生きるだけの在り方」 
「「原則」の本分」 
「人類滅亡消失を「予定」すること、への-にまつわる、課題設定・重要性の全般への普遍的な認知-理解-自覚-受容・取り組み・推進」 
「加害者優越(優勝)・被害者劣後(劣敗)、の、不条理・理不尽・非道」 
「富と幸福感との非相関」 
「「畑違い」(の、領野-方面-事案-…)への安直な、侵出-侵入-侵犯」 
「軽挙妄動への「謹慎」の在り方(の不在…)」 
「「~らしさ」「~の部分」「~の一分画」「~の役割」…といった限定的な諸々-自己に限定性を与えるもの(or社会的な期待-要請-要求-強制)に、とらわれる-縛られる-拘束される、事」 
「既定された-規定済みの-押し付けられた-他から勝手に決められた-主体性を奪われたものとしての、「らしさ」「部分」「分画」「役割」「理想像」…だけを生きる(なぞる)ことの、むなしさ・「夢の無さ…」」 
「「優先事項」「緊急性を帯びた課題」…の理知的取捨選択」 
「「生死(レベルの問題)」「自分がされたら」「他者存在(自己以外)(※「人間以外」も無論絶対に含む)へ配慮してこその健全な「自由」」…、へのまなざしと社会的焦点当ての重要性・への迅速な取り組み・早急の向かい合い」 
「生と死との不可逆、そしてその、決定的差異・絶対性・断絶性・極限性・重大性」 
「前提の前提、その又の前提、更にそのまたの前提、そして更にその…~」 
「いまや(社会の構造-国際関係、がほぼ大体は構築されるに到った現時点となっては)およそ全ての人間の心に存するものとは後天的に身に付けた妄念・妄想である」 
「「らしさ」の合理性の考察・検討」 
「「らしさ」の強要」 
「(人間存在の)抜本塞源」 
「一線を越え過ぎた人類」 
「終末-終焉-終幕-終極、を、覚悟-決起、すべき」 
「文脈曲解(≠誤解)の愚-弊-不毛性」 
「「揚げ足取り」(ばかり)に、励む-勤しむ-固執する-執着する、ことの、愚蒙-妄執-迷妄-悪辣-あだなさ」 
「「日和見主義」・大勢(タイセイ)迎合、の姿勢が結局は、無難策であり、引いては、優越勝利してしまう…という、正義の不在の一面」 
「強者必勝-弱者必敗、の、理不尽-不条理-無慈悲-非合理-非情」 
「やみくもの盲目的な「進歩」「発達」「前進」とその歯止め」 
「文明-文化に(逆に)「使われる」ことの愚かさ」 
「「寄らば大樹の陰」への傾斜-傾倒」 
「反「人間中心主義」」 
「反「人間優越主義」」 
「反「人間優先主義」」 
「反「ヒト、中心-優越-優先、主義」」 
「反「人類、中心-優越-優先、主義」」 
「人類愛という集団妄想」 
「「人類愛」という名の集団妄想」 
「生態系の攪乱」 
「「眼高手低」の氾濫」 
「他者存在への配慮」 
「人類の独善による被害者-犠牲者たる人間以外(の存在)」 
「独善-傲慢-刹那主義-快楽主義-享楽主義-恣意的所為所作-キワモノ追い-好奇心-(諸々の)無責任(行為)(な、知的欲求-…等々)-…、の、被害-加害-害他、としての皺寄せ-波及(「お門違い」の迷惑行為)」 
「人間による、被害者-犠牲者、たち」 
「人類の義務」 
「人類絶滅という逆説的な救済」 
「正義-理想-真実-…、(といったもの)、へ(向けて)の-に対する、ニヒリズムの不毛性」 
「諷刺-冷笑-品評趣味-皮肉-嘲弄、(を)して生きるだけの-ばかりが能の-だけ(の連続-連綿)で一生を終える、あだなさ-空虚さ-お粗末な空疎さ」 
「冷静さ-落ち着き無しでの深い洞察を欠く、感情-フィーリング-恣意-気分-…、まかせ-本位、の愚劣迷妄さ」 
「協調-共同-調和-平衡をしない・「共生-共棲」すること-という事、が、不可の-無理な-出来ない、生物種、ヒト」 
「(例えば、「長期」「大局」「将来」「未来」…等々の側面を加味-考慮しての、)「急がば回れ」に本当に真理は存在するか?の惑い…(そこには、時間的次元-ときの流れの位相、が前提されているが…)」 
「一方的な、「監視」「管理」、の横行-公認の、不公平-不平等」 
「「警察」(という名前-名称-名義の、組織体-行政機能-武装集団-強圧機構-威力団体-国家機関-国家権力)批判-議論が、盛り上がらない-巻き起こらない-湧き返らない-隆興しない-沸騰しない-活性化しない、ことの不思議-謎((不文律的な-暗黙のルールとしての)禁忌事案?禁止事項?タブー視?)」 
 
 
 
 
 
尚、更に、前々より心中でいろいろと思案致しておりました私自身の個人的な諸々の随想の一部分を、ここに自己開示として付け加えるように掲示を致しておきます。
但し、断章的であり順番序列にしても前後連関が調整はされてはおりません…。
内容的にも曖昧あやふやな調子で大変雑駁としたものになっており、誠に理解し難いようなぶざまで取り留めも無いような様相を呈してしまってはおりますが、そこはどうか御容赦下さい…。
先ず初めの前置きとして申し上げたい事には、飽くまでも、私的な事案にしか過ぎないのであるということに、なにぶんにも御留意下さい。
余りにも奇妙-奇怪な記法で、異常なまでに独特過ぎる文体で御座いまして、凡そどなたの目から見ましても「変文」で御座います事には全く相違ありますまい…。
大変恐縮の思いでありますと共に、甚だ恥たる思いも多分に御座いますのですが、これが私のどうにも抜け切れない(観のある…)ような習性の一つなので御座います…。
由りまして、必ずしも御期待に沿えるような代物では御座いません事、どうか御承知置き下さい…。
余りにも、お粗末な体裁(酷過ぎる悪文-整理の成っていない醜文-きっと意味不明と取られるであろう筈の書式-…)で御座いますので、この部分はすっかり飛ばしてしまっても一向に構い御座いません。
然し乍ら私にとりましては、それぞれが切実なる、苦悩-懊悩-煩悶、の対象事項で御座いまして、目下に於きましてもこうした案件を(「(何という)ヒマジン…」とかバカみたいに御思いになられるかも知れませんが…)至極真面目に悩み続けているような状況に御座います。
敢えての想いにより付記致しましたこれらは、御願いとして「もし宜しければ…、どうぞ御閲覧の程を…」と申し上げますくらいの程度の謙虚-謙遜の気構えでの文言で御座います。
本文の閲覧者様の御厚志-御寛容の想いにてで、参考までに御覧戴けましたらば誠に光栄ですし、発信者側としてはとてもうれしく助かります様な思いで御座います…。
そして、何らかにも思いを共有するような事が適いましたらば、まさに望外の幸せ、幸甚の限りという言に尽きますので御座います。
それでは、下述下記で御座います…↓。
 
「言語的次元を前提とする「社会」存在としての人間、又、その自意識化-自覚化の貫徹を継続的実行をする事。
何気ない日常に於いては、殆どこうしたことがらは、意識するような事が無い…・意識などはされてはいない…、というような場合が多い感じであることを鑑みれば、自己に対しての自身からの注意喚起として、大いに意義性を持つのではないのだろうか?」
 
「少なくとも、一回性だけにしか過ぎない-一回性としてのものの-「一回生涯」のみ保証されているものである、自己存在の確認」
 
「一生涯というものは、歴史的経緯-人類史、の中の、限定的な-部分的な-断片的な-断章的な、ひと区画-一区画、としてだけにしか過ぎないのか…、という大いなる懐疑」
 
「記録-履歴-…、及び、その-それ(ら)の、保存-保管-保存管理-伝承-継承-…、を念頭に入れての、生き方-在り方、とは果たして必ずしも「良い」と言う事が出来るのか…、の(転回的な)懐疑」
 
「自然体での生きざまに対する、抵抗感-違和感-侮蔑感-…、といった、のちのちに備わったものとしての、とらわれの後天的意識や先入観念」
 
「取り分け人為系のなにものかにもとらわれたりせずに、自然-環境-生態系-人間以外-人類以外-…、と共に、協調的-調和的-整合的、に、我が、一生-生涯-畢生、を、(ごく普通な様子で)「自然体」に・「自然体」としての形態で、生きることに徹する生活の営みの形態。
そうしたスタイルに関して、「多様性」という、視点-視座-観点、から鑑みても、認容-許可-容認-認可-許容、されようものである…、と強く思うのである。
むしろ-却って-逆に、こうした在り方の方が、穏健性-平和性-安寧性-健常性-健全性-…、が所在-存置しているように見受けられるようではあるのだが…。」
 
「「記録」(ということ-するという事)(系)に固執-執着する「人間」存在の姿勢ばかりが、果たして本当に、正当-正統-正道、と言えるのかという疑念」
 
「一回性の身に在ってみれば、全体の部分-部品としてで、つましく-つつましく-つつましやかに、生きることだけが限界である…、というのは只単なる、「思い込み」「錯覚」「洗脳」「教化」…からの、或いは、「同調強要」「同調強制」「同調圧力」…に由るものとしての、慣行-慣れ合い-馴れ合い-惰性-冗漫-漫然継続(永続)-とりこ-とらわれ-…としての結実-産物-幻想-幻覚である、のではないのか…?にしか過ぎないのではないか…?」
(※尚、ここ↑で「全体」というのは、例えば、人間社会・集団組織体・共同体・コミュニティ・時間-とき-時代-時期・空間-ば-場所-地平・時間空間(時空)・時系列・人類史・…などが挙げられよう…。)
 
「「天上天下唯我独尊」(テンジョウテンゲユイガドクソン)と「我、沈思黙考す、ゆえに、我、存在す。我を確認す。」との思想的通底性」
 
「諸「問題意識」系が、
衰弱-衰退-減退-減耗-消耗-沈滞-沈静-鎮静-…
or
衰亡-衰滅-消失-消沈-死滅-膠着-途絶-断絶-…
して行く事への、懸念-危惧-憶測-不穏」
 
「鵜呑み-言いなり-言われるがまま-唯唯諾諾-…、の「常識」化-常態化を、基点-起点-転機-契機-起爆性、として、そこから徐々に「社会瓦解」へと、通じて行く-相成る、事というような、道筋-経路-連絡-連結-連続、という想定はどうであろうか…。
この想定、果たして、本格性に欠ける・荒唐無稽である、等々とはっきりと言えよう事であろうか…?」
 
「(ぬるま湯的な・「喉元過ぎれば熱さを忘れる」然としての・「当たり前」意識から由来する)
「平和感」「安心感」(「安全感」)の、悠長さ-おめでたさ-オメデタサ-…。
そして、危機意識の、欠失-欠如-欠落-喪失-逸失。」
 
「柔軟性・融通性・アバウト感・…、の、無い~少ない-稀薄な、学問世界-学術分野、及び、経済方面-ビジネス界、の原理的側面。
そして、その両者の各お互い同士の、結託-癒着-…、の関係に就いても、社会問題として取り沙汰すべき-問題視すべき-疑問視すべき、(怪しさ-疑義、いっぱいの-満載の)事案-案件であると思われる。
(因みに、更にこれに付け加えるならば、諸「制度」系-諸「法規律」系、の領域も相互関係要素の大いなる一角として浮かび上がる筈であろう。)」
 

 

 
 
 
 
 
以上です…。
そして、ここからの下記下述↓が一応の、本文-本題-本項としての内容に相当致します。
 
 
 
 
 
生きる意味及び意義とは何ですか?(中略)→(結論)ヒト・人間・人類は消失、滅亡、絶滅するべきだと思います。
 
 
shikanneiko
 
 
「ヒト絶滅、全人類滅亡消失、無人化、へ…の説得・提言(・勧誘引導(導引))」
 
 
(自然発生的に誰しもが考えることだと思われますが、)「人」としての最重要課題、(以下に示しました矢印「⇄」は敷衍の遷移、順序を示すものでは決してありません。考えの原初からの順序列は今となっては最早定かではないと思います。しかし推移の順位、順番などこの際特別段に問題とはならない筈です。只言える事は対象それぞれには紛れもなく深く強い密接な相互関連性が存在している事(相即不離)は自明、という事です。「自」と「他」の截然たる区分けは社会化が前提の現代では、どうしても出来ぬ事なのかも知れません…。)即ち、「私」⇄「人間、ヒト」⇄「全人類」の存在のor生きる意味及び意義並びに根拠とは何でしょうか?
(ところで、私自身の「ばか丸出し」然、無知を曝露呈する様で御恥かしい限りですが、私の漠然とした認識では、哲学は「意味」の分野を思考察、片や倫理は「意義」の方面を思考察するものと思っております。自信がありません、とんだ誤釈でしょうか?)
個人⇄集団の内面、何たるか、主体、概念、の充全な洞察、考究は緊張感・責任感・切実感・切迫感・羞恥心・謙虚精神・罪悪感・謝罪感、を以て臨むべきことであると強く思います。
グローバルな地球的な国際化・社会化した現代に於いては、尚更にも増して人間として考えなければならぬ最重要課題でしょう(然し私、個人的にはその方面の談論風発の見聞、いまだかつて覚え無し)。
又更に利己的「意義」(の追究)はわかりますが、利他的「意義」という代物は何らかあるのでしょうか?
私、例が思い浮かびません…。
然しながら以上、結論を先に言ってしまえば、(予想して今後将来的にも)蓋し凡そその答えは、無い、或いは見つける事は不可能、というのがほぼ決定的な真相かと思われます。
少なくとも有史以前以後にも先達諸々が論究せんとして来た事ですが確実な証明、完成の功相成るに至っていないのが現実です(何故ならば、直観的に現実の各様各態のカオスの山積を概観するだけでも、物心ついた人ならば即座にも判じ得る事だからです)。
達観して悟りの境地に至った人等、果たしているorいたのでしょうか?
(ところで、ちょっとした余談です…。梁塵秘抄の有名な歌、「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。」があります(殆ど周知ですよね…)。誠に僭越ながら私なりの我田引水、牽強付会な私的解釈を致せば、生きる意義とは何かとの哲学的問いかけであったのでは?、との読み替えを致しました。最重要課題、大切なものを、なおざりに、置き去りにして、個々が勝手気ままに、自由に、遊び(=諸々の何らかの行為・所作・行動)に耽っています、御執心です。「遊び」イコール各主体それぞれの何らかの欲求願望の充足…と解釈致しました。(かと言って、この場合に於いて、「あそび」とは何も必ずしも娯楽、遊興、享楽、快楽、的な事象に限った事ではありません。人為、ヒトの所業を全て「あそび」として総括。「生きる事の「意義」を考える事、解明する事、無くして「あそ」んでばかり居ていていいのか」との警句…。との読み替えです)つまりは、寄与・貢献・慈善・愛他・利他・学究・研究・勤労・仕事・作業・献身・苦行・ストイシシズム関連・等でさえも究極的には、絶対的には、本質的には利己的欲求願望の一種に過ぎません。)
このような状況から鑑みまして、私の個人的な(且つ極論・酷評的な?)言い方をすれば「惰性で駄齢を重ねてきた人類史」と表現せざるを得ません(生意気を申し上げます様ですが…)。
 
 
(次記事へ続きます)

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