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生きる意味及び意義とは何ですか?(中略)→(結論)ヒト・全人類は消失、滅亡、絶滅するべきだと思います

生きる意味及び意義とは何ですか?(中略)→(結論)ヒト・人間・人類は消失、滅亡、絶滅するべきだと思います。     shikanneiko     「ヒト絶滅、全人類滅亡消失、無人化、へ…の説得・提言(・勧誘引導(導引))」     (※註 記載致しました内容に就きまして…。) 何たる不謹慎と警戒心-憎悪感情を御抱き?滅亡-絶滅イコール悪-わるい、の先入観念。否、思考の囚われ-構え-かたさ-強張りであります。全くの拙文で御座いますが、よく御覧になってみて下さい。(※逆問致しますが、私の提言内容以外に救済策など果たしてあるとでも…?)

生きる意味及び意義とは何ですか?(中略)→(結論)ヒト・人間・人類は消失、滅亡、絶滅するべきだと思います。

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生きる意味及び意義とは何ですか?(中略)→(結論)ヒト・人間・人類は消失、滅亡、絶滅するべきだと思います。

shikanneiko
 
 
「ヒト絶滅、全人類滅亡消失、無人化、へ…の説得・提言(・勧誘引導(導引))」
 
 
(2ページ目)
 
 
私はこれらを勘案した結果、以下の確信に到りました。
逆説的ですが滅亡こそ真の救済なのだと思います(「発展的滅亡」と言わせて貰いたいです)。
何より、もうこれ以上あれこれ悩まなくて済む。
誰も差別化する事や優劣を競い合い叩き合う事も無くなる(実際のたたかい・あらそいは無論の事、知性方面諸々での瑣末なそうした差別化に就いても、終息して真っ平らになる(これぞ真の平和、平等))。
誠に結構な事ではありませんか!
世の中の累積し続けている諸カオスもこれにて単純明快、截然と全て万事解決できます。
「快刀乱麻を断つ」であります。
それらが生み出される、産出される根源泉自体が消失滅するのですから…。
生きる意味の何たるかの解明を他生物に託すというのも建設的な思考法だと思います。
託す譲る「譲り合い」の精神を深慮するべきです。
地球の舵取りを他生物たちに委託して自分たちはいさぎよく謙虚に辞世する…。
何とロマンティック、(建設的な意味での)メルヘンティックな事か。
有終の美では御座いませんか…。
これぞ誠の美しき「玉砕」なり。
自己自身に付与、授与した「勲章」及びそれを敢行した自分達に、名誉感情を抱き陶酔しながら滅亡自決を以て果てる…。
これぞ真実・真理の「自己満足」では?
尚「滅亡」「絶滅」などというと負、マイナスのイメージを持たれるのが大方かと思われますが然にあらず。
それこそ思考のとらわれであります。
決して「悪」でなどありません。
何故ならば地球存続に寄与貢献するという非常に尊尚崇高な名誉、聖者善人的行為、生物としての誇りある気高い偉業、を貫徹、全う出来ます。
当然ながら主体が存在しなくなったその際(絶後)には感知は出来ないのでありますが(草葉の陰(から見守っている)という言葉もありますが…)、ある種の栄誉ある勲章獲得感を抱いて、生存期間内(空前)に自信・誇りを持って生きられます。
地球のその後に大きな期待・希望を寄せるという甘美な夢に浸れます。
道義面、聖性、精神性の精華は宇宙空間に燦然と輝く或いは謙虚さを以て瞬くでしょう。
これも又言わずもがなですが、それを賛美称讃する肝腎の「評価者」は蓋し確認出来ませんのですが…。
(もしかして次期・次代の地球の主導者・覇者が?(よもやあるまい事だとは思いますが、地球外生物も?))
かと言って仮にも全人類が大量自殺を決行するのは、恐ろしく怖く辛くかなしく痛く苦しい…。
私も我が身にそんな事を課すのは包み隠さず直截に申し上げまして、願い下げ、御免被りたいのが率直な所です…。
少しでも考えればすぐにも誰にでも、わかる、思い付く、私なりに編み出した簡潔単純明快な妙案(?)があります。
「産めよ増やせよ」の真逆即ちこれ以上ヒトを増殖させないように出産を禁止化すれば良いのです。
(「産めよ増やせよ(地に満ちよ)」→ヒト一生物種の、のさばる事の増長・台頭を促進・推進・奨励する思想…。もはや今となっては、どう見たって美徳なんかにはとても思えません。代表的な、時代錯誤・旧弊のひとつであるととみに思います。)
国際的な緊密強固な結託を以てして、子を産むこと、子孫産生、人間のこれ以上の増殖、を強制的に全面禁止にすればよいのです。
しかしこれを自然と共生的な人種、アイヌ民族、アボリジニ、ある種の原住民族、その他自然・環境と共存共生的生活を営んでいるコミュニティ、…等々までに強要するはさすがに私、心苦しい事と思いました…。
しかしこの(「同胞はらから」としての)罪悪感に対抗する個人的な意識は持つに至りました。
地球というかけがえのない惑星の恒久的維持の為の絶対的「必要悪」としてせねばならぬ自滅亡行為、この詳細要旨を何とか事の正当性を説得して責任認識を自覚して貰い、合意・許容・承諾を貰うしかありません。
いくらこうした平和的諸共同体が、どれ程の正義、正道性、道義性、道徳性、聖性、等の生物的正当性を現時点では持ち得ているとはいえども、人というものは恣意的存在たるがゆえに高邁な共生の精神が永久存続する事などほぼ絶対的に望むべくもありません。
どのようにせよいつかは必ず、脳神経系を特別に発達させてきた生物としての宿命的顛末、即ち科学文明に傾倒気味になり、堕落腐敗した現世界状況と同じ道筋、経緯を辿りゆくに決まっているからです。
仮にも、地球の他生物・自然環境との共存共生の確固たるシステムを構築するのに成功したとします。
しかし、内面に必ずや幾らかの「狂気」「邪性」を孕んでいるヒトの事、大方結局最期は崩壊・破綻するのは時間の問題(しかもせいぜい短期間)であると確信を持って言えます。
ヒトという種の滅亡消失の徹底完遂まで、暫定的で道義的な取り組みに邁進する事こそ一刻も早く全世界が足並みを揃えての優先的緊急課題事項であると思います。
尚私、俄然、突如にこの様な「滅亡こそが最良最善」との思いに至った訳ではありません。
無論、妥協的な共生共存の道、手立て(例えば草食、菜食主義に決然、截然と徹する様に規制するとか…)を考えてこなかった訳では無いのです。
しかし、足るを知る事が出来ぬヒトという一生物種のさだめ、満ち足りなさがゆえに、ほぼあらゆる面に於いて、その欲望が、過度化、極端化し易いです(無秩序なまでの欲の追求)。
他生物には無い独特の、狂乱性、偏執性、を内在しているのです。
それに呼応するが如くに「産」「官」「学」(「民」も?)が一丸となって欲望の開発に余念が無く御執心であります(ここに於いても「官」「学」辺りが真の黒幕なのでは?)。
こんな事からして、そのような共生共存への意欲の兆しの生まれる気配ですら、感じられない。
そして、或いは、自己を統制・制御する事等、一過性には出来得たとしても、その恒久存続など所詮は気まぐれなヒトの事、やはりいつかは道を外れ行くは自明の理。
ここは一挙に、いさぎよく截然と一切合切をゼロにするしかないと思い到った訳です。
逆問しますが他にどのような代替の「名案」「救済策」などありましょうか?
そのようなものが存在するとすれば、是非とも拝聴させて頂きたい所です。
 
 
他生物は各種各様の行為行動を起こしますが、この事を換言、別言すれば他生物はおろかヒト以外はその形式に違い、差異こそはあれ外界との「対話」を全う、貫徹しています(各々当該の何らかのチャネルを用いて対話的行為(影響・交渉・意思疎通・コミュニケーション等々)をしていると思うのです)。
つまり自然環境並びに生態系の維持に意図的でないにせよしっかりと調和をもって斉一的・整合的に共生して「貢献」しています(現在進行形で…)。
変化、変動、変容ありとしてもその程度は極めて緩徐なものであります(恐らくはヒト以外の諸生物・事物象にその認識は全くない事かと思われるのですが、例え何らかの、変化・変動・変容、の事象があったとしても、当該相互の疑似的コンセンサス・同意・合意、が貫徹されているとみなしても全く問題は無いと断言出来ようものです。正当な自然・環境の、摂理・秩序に従っているのですから…。人間の所作のような強烈・衝撃的な「インパクト」は皆無であると思う次第です)。
 
 
自由に生きて自由に死んでゆく。
これは少なくとも他生物には全く問題の無い結構な事かと思います。
しかし人間だけに限ってはそうはいかない。
自傷害他の恐れのある危険・狂凶暴な突然変異種だからです(過剰に好戦的でもあります)。
地球環境・生態系の攪乱行為、地球の安寧秩序を乱す悪い意味での特別存在・逸脱者です。
煩悩を間断・絶え間無く増産しては結果として確信犯的に自虐に浸り快感、悦楽を得ようとする営みをし続ける変態性生物です。
一蓮托生の強要・巻き添えの食わされ・人身御供、をさせられる側、付き合わされる側はたまったものでは無いです。
自己内だけに限って納まっているのならまだいい。
しかし現実は自業自他得、他への波及、越権行為、僭越行為、を当然・平然と何の疑いも無くエゴイズム満開で他への配慮も無く独断専行している…。
被害者の優越。他方、加害者・犯罪人→劣後扱い・代償義務責任あり。
これが道義の基礎根本では御座いませんか?
人類は何処へ向かおうとしているのでしょうか?
到達の目的、目指す最終地点、ゴール地点とは?
然し乍ら、切磋琢磨・採長補短どころか、足の引っ張り合い、他・相手を出し抜く事、たたきあい、縄張り争い、に日々日夜明け暮れています(昨今では世界の各界が余りにも複雑難解化して来ており、専門分化、「ブラックボックス」化、秘密化志向(門外不出)、隠蔽秘匿行為、アンチ→「知」・情報の共有、等が進行していると思います。そこからの起因で、予測不可能性、明確な判断のしにくさ、(シンボリックな)カリスマやリーダーの不在、実質的な「識者」の不在、概念の不透明性・曖昧さ、等の憂慮するべき事が生じてくるのではないでしょうか?)。
そしてあろう事か、まるで、憂鬱になる、苦悩・苦慮する事自体をあたかも楽しんでいるかのようです(愉快犯(変態)?)。
普通に考えれば、カオスが蓄積する→苦悩、心配、不安、焦燥等が増大して悲哀・憂鬱になる筈…。
然しそれどころか逆に快楽を感じているかの様。
かの憂慮の仕草は見せかけの芝居・トリックなのでしょうか?
ヒトという種の「存続・永続・継続」に果たして何の意義があるというのでしょうか?
消失滅亡、「した方が良い→するべきだ→しなければならない→せよ!」との遷移図式が成り立つ程にもう既に事態は緊迫していると強く思います。
人類史という歯車が動き出してしまってからもう久しいです。
私、この狂った歯車の暴走にまさに今こそ歯止めをかけねば!との想いにはやっています…。
(尚敢えて念の為、御注意を申し上げておきますが、短絡・性急に暴虐的テロ行為を引き起こそうとするような物騒な考え等々は、私一切企図など致しておりません事、御承知置き下さい…。又、世に謂う「犯罪予告」「犯行声明」でもありません…。)
インパクト・甚大な負荷の補正を充全に遂行する事を、聖性を備えて代償しなければならない…。
人間はその実質は「性悪」であるのに「性善」たる事を希求願望していますね。
全人類の最期は「性善」として、いさぎよく、誇りを以て、独善的でない栄誉感を以て、気高くに締め括りとするのが最良です。
逆に言えばそれ以外に、どのような道、方策、打開・解決案があるというのでしょうか?
盤石たる根拠を含意した「カオス解消」の名案を果たして呈示出来ますか?
「人間の存在「意義」→いたっていなくたって特に変わりが無い…」のなら、いっそいない方がよっぽど良いです。
敢えて擬人的に表現すれば地球総全体の「意思」としては「ヒトはこの世から早く消え去って欲しい」という声ならぬ声が聞こえてきそうではありませんか?
 
 
このまま惰性的に瓦全を決め込むなどもってのほか、許されない。
いっそ玉砕を図るべきです。
自己の生き様に毅然とした責任を持たなければならない。
解決打破せねばならぬ強制責任義務課題であります。
のんびりと遊蕩に耽ってなどいられぬ。
地球を占領、占拠しておいて尚且つの無責任ぶり、僭越・おこがましき事この上ないです。
更には、この期に及んで瓦全を通し続けるなど何とも見苦しくぶざま、見っとも無い。
生物としての高尚さに於いて人類は最下等に位置するととみに鑑みます。
先人、古人はいみじくも謂うたものですが、「義を見てせざるは勇無きなり」という言葉があります。
私、今まで切歯扼腕、手をこまねいていましたが、私は人類の狂乱的暴走を大衆社会に紛れて、傍観者を気取ってこのまま看過する事など最早出来なくなりました。
率直には焦燥感も隠し切れません…。
(これは先述の自我の生きる意味更には意義ともリンクするかと思われる事です。私の生まれてきた意義とは一体何か?と真剣に考えた結果です…。このまま、普通平凡に大衆に紛れ込んで、好き勝手な事をして勝手に死んでゆくだけが私の本当の人生か?本当にそれでよいのか?と…。)
ソクラテス的宜しく「対話」を是・旨とする事を前提とした上で、ジャンヌダルク的に革新の扇動を引き起こして、モーゼの逆、即ちハーメルンの笛吹きの様に全人類を奈落、絶滅へと導く(イメージ)…。
個人的なささやかな一縷の憧憬。
偉人、有名人とはまるで真逆の、しがない「その他大勢」の内の一人の瑣末な願望…。
リーダーシップ、カリスマ性、実力、等の欠如した私には背伸びし過ぎの「英雄願望」「英雄妄想」ではあります…。
人類繁栄隆興存続への無謀な反旗…。
ただただ憧れてしまいます。
儚い夢のまた夢、至極・甚大に愚かしき虚妄ですかね…。
 
 
荒唐無稽の愚説・支離滅裂の駄考・暴論・独善的ドグマ・狂信、と一蹴するのは大いに結構。
失笑・哄笑・嘲笑・冷笑、なんのその、嗤わば嗤えです。
私という、得手公・お山の大将・愚者・大バカ者・「知」「学」分野に於けるたかがザコ・を誹謗中傷、罵倒、嗤うもよし、然し飽くまで、出来得れば「理路整然とした論説・論拠」を以ての反対駁論(の展開)を望んでやみません。
意見(反論、叱責、(凡そありえないでしょうが…→)同調、その他何でも(例えば、フォーマルな様式でも、インフォーマルな様式でも、何でも御座れであります))募集中で御座います!
尚御留意戴きたいのですが、我説誇示等は、もとより眼中には無いです…。
衒奇趣味によるものでも御座いません。
ヒント、助言、アドバイス、等々を下さったり、挙例や例えの適切さへの疑問、語彙・術語・用語の誤謬、表現の語弊、ボキャブラリーの貧困さ、言及不足、説得術法の拙劣さ、学知識の未熟さ、論理(展開)の誤り・飛躍・脱線、などを御指摘頂いたり、各種様々な至らぬ点を、諭して・諫めて、下されば大変貴重な後学となります。
ここに到って、もはや「機は熟し過ぎている」「役者は疾うに出揃った」「御膳立ては既に出来ている、整っている」といった観があります(というのも、先ず言論の自由が保障されている(?)のはかなり多大で重要な事ですし(建て前としては。まだ思想統制的要素も潜在的に残存している様です…)、国際化並びに学際化の著しい進捗、そしてなかんずくインフォメーションテクノロジーIT関連(取り分けインターネットワーク)の、拡大、隆盛、膨張。対話、意思疎通、意見交換、議論、の場が整備されてきている訳です。他にも様々な論究するにあたっての各種各様の優遇的要素因子が沢山抽出されると思います)。
先述致しました通り、この方面の推進を最優先課題と位置付けて、今こそ一刻も早く倫理、正道、道義、道徳、の何たるかを慎重に冷静に充全に考究しなければならないと強く思います。
文化・文明、科学・技術、の外見的発展と精神性の昇華とは必ずしも相関していないのが実態ではないでしょうか?
これ以上の生活便利、利便性の追求をしたところでその合理性、正当性、意義が解明されていない現状では只の果てしない「惰性」の一言に尽きます。
(これは言うなれば「賽の河原の石積み」、無意味作業、にやや似ている所有りかと思います。)
さてここで私、敢えて強気に宣言致します。
いざ来たれ!いざ参れ!自作我説どなたかくじいてみよ!正道を以て論駁してみよ!
私決して木石ではないゆえそれが、哲学的に道義的に倫理(学)的に論理的に適うものであり、納得・承服出来るものならば、我論にはいつまでもの見苦しくもの拘泥・固執は致しません。
瞬殺?即瓦解?果たしてそうでしょうか?
蜂起(呆気?)・社会挑発を提唱届出して我考の結びとします。
ここに挑戦状を叩き付けます!
 
 
(以上、誠に拙文で済みませんでした…。
社交辞令の謙遜ではなく、真の意味での、恥ずかしさでいっぱいの、自分でも嫌になって来るくらいの下手くそさであります…。
単なる「おしゃべり」の範疇を過ぎなかったでしょうか…?
それどころか、余りの粗雑さから、「意味不明」「理解不能」「判読・解読不可」の烙印を押され、まさに正真正銘の「狂文」のように映っているのでしょうね…。
不甲斐無さで遣り切れない思いです…。
こうした文章構成技術には残念な事に長じては御座いませんので、まさに「我流」そのものになってしまっております…。
(例えば他者の視点から見れば、「井の中の蛙大海を知らず」式に、近視眼的に過ぎる、目先の事ばかりにとらわれている、とかの印象を与える内容であり、それへの糾弾は免れないかも…。特に、過度の感情論的文体に堕しているようなかんじが、率直に申し上げて否めません…。「凡そ論理的とは程遠い、言い難い」という致命的な愚行をしでかしてしまっているかも知れず、非難轟々を大変恐怖します…。されども、肝要な、「対話者」、意思交換相手、客観的批評者、お目付け役、監査、評定者の役割を担っていただける方がどうしても必要です。助力を頂き、思考をよりもっと磨きたい…。鍛錬、習熟を図りたい…。例えくずおれても自己内省、フィードバックを図り再起を試行し続ける事に由り、更なる自身の練達、精進を致す気概です。)
いわゆるところの「論客」の様には立ち居振る舞えません…。
(悔やしいかな、欲を申せば、そうなりたいのですが…。いかんせん才能の無さが恨めしいところです…。)
どうかそこの所は大目に見て下さりますと助かります心境です(判読し辛い事多々かと思われます。文としての、表現、文脈絡、構成、帰結、等全てに於いてがギクシャクとしてしまっています…。申し訳御座いません、なにとぞ御容赦下さい…)。
流麗な文体とは凡そ言えぬ事は自認…。
冗長に過ぎるきらい、蛇足の有り過ぎ、自覚は致しております。
御恥ずかしながら、学術的並びに学際的とはとても言えぬことも承知(然し枚挙に遑が無い「知」や「学」のどれをどのくらい最低限にも備えていなければならないのかという疑問は残る所です。真っ先に思い付いた手がかりとして強いて申せば、確からしさからして、まさに「義務教育」内容だけこそは最低限必須とされるという事になりましょうか?)。
学術、知恵、見識、考証、洞察、の貧しさ、乏しさ、浅はかさから来たる、論究、考究、論拠、根拠、の不充分さ、矛盾、相反、…等々も悔やしくも無学者、無~低能人間、無頼の徒、の私自身の実力の未熟・欠如、不徳の致すところとの心得を抱いております。
悟空出来ざりし事も生来の我が「さが」故、これも誠に忸怩…。
おおよそ言わんとしている事を、寛容に御賢察下されば有り難い限りです。
 
 
※尚、御留意頂きたいのですが、以上の諸々の所感、何か(例えば特定の本・書籍、宗教的見地、思想団体組織、政治的信念、信仰心、…等々)に感化・影響されてのものでは、決して御座いません。
何らかの「回し者」、「手先」、「狂信的信奉者」、「特定の思想関連のor宗教関連の「宣教人」」等でもなく、飽くまでわたくし個人の内面で記憶などを基にして色々な関係性から独自に考察してオリジナル(※無論、完全・絶対の「オリジナル」などは存在し得ぬ事は承知。編集過程を因子として含みます)に編み出した案出観念です。
偏重的なor多大な程度の引用・借用・流用などは一切しておりませんし、過度に偏向的に引用図書・参考文献としたものも御座いません。
傾倒対象も特に存在しませんし、「受け売り」でもありません(同様にして、以上これらも厳密、正確、純粋、完全、絶対、な意味に於いては然に非ず事は重々自覚致しております)。
(念の為に更に付け加えておきます。私、空想・幻想小説や漫画の類いに耽溺している訳でもなければ、アニメーションやゲーム関連のマニア・熱狂の徒でもありません。)
何もことさら性急に先入観・偏見で、怪しげな思想の押し付け、押し売りなどと誤解・曲解なさったりする、…等々はどうぞ御勘弁頂きたい所です…。)
 
 
(齢38歳の際の作。日本人)

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